私がミニマリストになるまで[最終回]

今から2年前の2020年「私がミニマリストになるまで」と題して、自分の半生を綴った記事を書いた。

[前編]・[後編]と2つに分けていた記事で、年月が経って生活の変化も大きかったので続きを書きたいと思う。

今回は、直近の2年間でどんな変化があったかをまとめたい。「私がミニマリストになるまで」シリーズは、これで完結の予定。

2020年4月〜 初めての子育てに奮闘


2020年の春は、得体の知れない新型コロナウイルスの流行が始まった頃で、都内は初めての緊急事態宣言が出された頃。

ちょうど里帰り出産で2020年の1月に生まれた息子と東京で一緒に暮らせるタイミングをうまく計れずにいた。

とは言え生活に必要な行動をしないわけにはいかないので、月に一度は東京と地元の愛媛県松山市を往復する生活を送っていた。

この記事の[前編]と[後編]はちょうどその辺りの期間に書いたものだ。

結局新型コロナウイルスによるリスクや影響について、2022年の現在も不透明な事は多いけれど、当時はもっともっと不明なものだった。

2020年の6月に、何とか家族で東京に戻って一緒に暮らしていけるようになった。

夫婦二人の生活と、小さい子供が一人いる生活は全く違う。

私も初めての経験ながら妻と協力して息子のお世話を頑張ってこれたと思う(今の方がより大変なのだけど)

部屋自体も子供の安全性を考えて色々なガードをつけたり、マットを敷いたり、子供用品を収納する棚を増やしていったり、家族で生活している事が一目でわかる家に変化していった。

Shin
私自身、子供のために部屋に置くものを増やしたりすることは特に抵抗なかったです。

そのようなわけで、2020年は子育てに奮闘した一年で、家族で箱根に小旅行に行きつつ、趣味のスケボーも諦めず継続してあっという間に過ぎ去った1年となった。

2020年10月 箱根へ小旅行

2021年初夏 魚釣りにハマる


自分がリトライしてみたかった趣味の一つに『魚釣り』があった。

何を釣るか?は特に何でも良かったんだけど、自分が住んでる地域からやりやすい釣りということで、シーバスとハゼ釣りを始めることにした。

自転車で釣りに行けるように最小限の釣り道具を揃えて、家族が寝ている深夜や早朝によく釣りに出かけた。

ただ、不規則な時間に釣りに行くことがどうしても辛くて、自分の中の目標であった60cm超のシーバスを釣り上げたことで、釣りにはしばらく行かなくなってしまった。

執念で釣り上げた60cm超えのシーバス

釣りについての詳細はこちらの記事にまとめているので是非。

シーバスフィッシングを始めたお話

2021年10月18日

2021年9月 口腔腫瘍再発


これまで3人家族で平和な日常を送ってきたけど、2021年の9月に口の中の左上奥に突然大きな腫れ物ができた。

これは[前編]にも書いた口腔腫瘍と同一の場所で再発が疑われる・・・

「前回の再発ではない!手術は嫌だ」の一心で大学病院での検査を開始。

今回の腫瘍は相当大きく、検査にも時間を要した。

前回は行わなかったPET検査(全身への腫瘍細胞の転移を確認する検査)、生体検査(腫瘍細胞を切り取って検査)まで実施。

検査期間は約2ヶ月。最終的に近隣の大学病院では治療不可となり、さらに専門性の高い病院へ転院することとなった。

最終的な診断は『前回の腫瘍の再発』

前回よりも、「悪性度が高く腫瘍も大きいため広範囲の切除手術が必要」とのこと。

ここまで大きくなるまでに気が付かなかった理由として、腫瘍は元々口の中ではなく副鼻腔の一部である上顎洞あたりからできていて、痛みも何もないからわからない。最終的に上顎の骨を突き破って腫瘍が口の中に出てきたことで発覚することになった。

これがもし、眼球や脳の方向に成長していたらもっと大変なことになっていたと思う。

実際の手術説明書の写真

覚悟を決めて、2021年の12月に手術。3週間の入院が必要となった。

手術は全身麻酔で時間もかかり、その後の療養期間も壮絶だった。病気を乗り越えるのも命懸けだ。

最終的に、上の歯のほぼ半分を失った事、足に皮膚移植の手術痕が残った事と引き換えに命は助かった。

術後の経過観察のため、今現在も毎月一度は病院に通って検査を行なっている。

失った歯の部分もそこを塞ぐ入れ歯はできていて、多少の制限はありながらも日常通り生活を続けることができている。

このように、人生はいいことも悪いことも突然何が起こるか分からないと身をもって実感することになった。

治療の詳細については、こちらの記事に

口腔腫瘍ができてから、手術〜退院までのお話

2021年12月19日

2022年 ブログ・スケボーなど趣味に奮闘

まさかの病気治療で後半のほとんどを終えた2021年。

2022年は「やりたい事はきちんとやっておかないと後悔する」とより強く感じるようになった。

なかなか記事を更新できなかったブログも何とか更新の時間を得ることができ、少しずつファッション関連の記事を増やしていった。

他に一番の趣味は魚釣りよりも短時間でカタがつくスケボーに戻り、休日の午前中は近隣のスケートパークで仲間と滑ることが毎週のルーティンとなる。

ファッションもこの頃から、より自分の趣味に近づけて楽しみたいと思うようになり、Supremeをはじめとした”ストリート系ファッション”に転向した。

私とSupreme -ストリートファッションと90年代の思い出-

2022年7月11日

あと、自分は身近なことでも趣味として楽しみたいタイプなので、凝った料理を作ったり、料理の腕も少しずつ上がっていったように思う。これには家族も喜んでくれた。

ここまで書いて気づいたけど、息子が生まれた2020年ごろから、2021年の病気治療を除いて結局大きな変化はなく、同じような日常を送っている気がする。

家族との時間を過ごして、自分の好きなことを少しずつでもやって・・・

きっとこれからの人生はこのような感じであっという間に過ぎ去って行くのだろう。

30代になったからか、結婚したからなのかどちらかわからないけど、ここ数年は本当に一年が過ぎ去るのがあっという間だ。

2022年10月 新天地の現場へ異動


仕事については、今現在も[後編]に書いた2018年1月に転職したIT企業に勤めていて、転職はしていない。

同じ現場で4年半ほど勤めていて、新たな挑戦をしてみたくなった。

私が勤めている会社は、いわゆる“SES(システムエンジニアリングサービス)”と言われる客先の企業に常駐する形態を取っていて、新しい客先へ異動することにした。

Twitter界隈では「SES会社は悪!」と書かれている事が多いのだけど、このようにある程度案件を選べる自由があるから使いようによっては悪くないと思っている。

新しい現場へ行けるようになったのも、自分の今までのネットワークエンジニアとしての下積みと、CCNA・ネットワークスペシャリストなどの有用な資格があったからだと思う。

新しい現場全体の技術レベルは前の現場とは比べ物にならないほど高く、今現在も奮闘しているところだ。

自分にとっては非常にプラスな事なので、しばらくは今の現場をこなしつつも、40歳を手前に最終的な転職や独立などの生き方を考えて行くつもりだ。

2022年11月12日 第二子誕生


2022年11月12日(土) 第二子となる女の子が生まれた。

息子が赤ちゃんの時にそっくりな姿ですごく可愛い。

妻とよく「息子と同じ顔の女の子がいたら可愛いよね」と話してて、本当に実現したことが有難い。

ちょうど一年前は、私の病気でこの先どうなるか・・・と言ってたのに、やはり人生はいい事も悪い事も何が起こるかわからない。

そのためには、本当にシンプルだけど長生きできる・病気にならない生活習慣を身につける事が大事なんじゃないかと思う。

息子も娘も、どんな感じで成長していくのかできるだけ長く見届けたい。

4人家族となったこれから

4畳半のダイニングキッチン反対から

住み始めた当初の今の部屋

2015年から一人でミニマリストを初めて、2017年まではシングルなミニマリスト生活を謳歌。

それがたったの5年で4人家族になり、改めて人生が変化する速さを実感している。

今住んでいるマンションは5年目で妻と2人で暮らすために借りた1DK

これも4人家族だと大分狭くなってくる。

これからの人生、どこで、どのような住居で生活するかの選択肢は本当に難しい。

同じ区内でもう少し広いマンションを借りるか、頑張ってマンションや一軒家を買うか、郊外の一軒家を探すか地元に帰って家を買うか・・・

様々な選択肢の中からどれか”一つ”を選ばないといけないわけだが、今のところこれといった決定打はない。

このまま関東で暮らして行くのか、自分と妻の実家がある四国の愛媛県に帰るのか?というのも一つの大きな選択。

私が東京での生活に拘っている理由については、またどこかで別の記事を書ければと思っている。

仕事の選択肢や得られる報酬の違い、趣味においても選択肢の多さと質の良さの違いで、東京から地方の生活に戻るのはなかなか難しいと私自身は考えている。

今後この辺りの検討や葛藤は当ブログのメインテーマの一つになると思う。

今後の活動について

男のミニマリスト部屋

2017年ミニマリスト生活真っ最中の部屋

2015年からミニマリストとしての活動を始め、今まで経験したことがなかったブログやSNSなどのメディア運営にも携わることができた。

ミニマリスト生活で得られたのはすっきりした空間やお気に入りのアイテムだけでなく、多くの仲間と出会うこともできた。

そして最終的には、妻と二人の子供に恵まれ4人家族に。

「何かを得るために」ミニマリスト生活をやってたわけではないけど、思考や身の回りのモノをシンプルにすればするほど、得られるものは大きくなっていった。

これこそが、私のミニマリスト生活の結果だったんだと思う。

ミニマリストを極めようとすればするほど、意に反してミニマリストからは遠ざかる生活になって行く・・・もちろん、これは悪い意味ではない。

「ミニマリストな生活だけ」を目的として生活をするのか、「その先にある何か」を求めて生活するのかで将来的な結果は大きく変わるものだと思う。

「ミニマリストを極めたかった。でもその結果ミニマリストではなくなった」のが私自身だ。

さて、ここまで読んで下さった方はもうお気づきの方も多いと思う。

Shin
私はミニマリストとしての活動を終了します。
この宣言を、するかしないか。何年も迷い続けてきた。

だからこそこの記事は「私がミニマリストになるまで」の最終回になる。

2人目の子供が生まれて、自分自身も今までミニマリストとして色々な葛藤があった中でやっと気持ちの整理がついた。

もちろん、ブログやSNSは少し方向を変えながらも変わらず継続するつもりだ。

今までミニマリスト仲間として出会った方々とはこれからも変わらず交流を続けていきたい。

次回は、ミニマリストを終了するまでにあった葛藤やどのように気持ちの整理をつけたか、最後にそれを綴ってブログ・SNSの方向転換をしようと思っている。

次回もお楽しみに。

2022/12/11 ミニマリスト終了の記事を書きました

さよならミニマリスト

2022年12月11日

前編・後編はこちら

私がミニマリストになるまで [後編]

私がミニマリストになるまで [後編]

2020年4月29日

私がミニマリストになるまで [前編]

2020年4月26日

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