私がミニマリストになるまで [前編]

ブログを始めた4年前「私がシンプルライフに目覚めたきっかけ」と題して、高校卒業から現在のライフスタイルに至るまでの出来事をまとめた記事を書いたことがある。

今回は、前回記事から年数が経過したので、ミニマリストになるまでの半生をより深くまとめたいと思う。

はじめに:管理人Shinの現在

  • 1984年生まれ36歳
  • 妻と息子(0歳)の3人家族
  • 東京都在住
  • 職業:システムエンジニア

2002年 18歳 高校卒業-美容室へ就職

当ブログでも何度か紹介している通り、私の出身は四国地方の愛媛県松山市。

生まれも育ちも松山市のため、高校を卒業するまでに東京や大阪などの都会へ行ったことは修学旅行ぐらいでしかない。

そんな地方で育った私が、高校一年生の時から“なりたい!”と思っていた職業が美容師だった。

高校は工業高校で、大学や専門学校へは進学せず就職するのが一般的。

地域柄、東レや帝人、大王製紙などの工場が多くあり、高卒で東証一部上場企業の正社員として就職できるルートもある

上記のような「正当ルート」を辿るのが正しいとされている中、少し特殊な道を選んだことは自分にとっても誇りだったし、早く高校を卒業して働きたかった。

そんなわけで、高校在学中に受けた地元でそこそこの規模がある美容室チェーンへの採用面接は無事合格し、あとは新生活を待つのみ。

「美容師の仕事は大変だ」と周りから言われる中、「自分であれば乗り越えられる」と根拠のない自信もあった。

当時は就職氷河期と言われる時代で、高校卒業時点で正社員の内定を得られたことはそれなりに有難いことだったのだろう。

補足すると、私が通っていた高校は工業高校だったけど情報処理科ではない。

現在のSEとしてのキャリアがあるのは学生時代の専攻とは全く関連の無いもので、独自で身に付けたものとなる。

2002-2007年 地元で美容師として働く

高校を卒業してすぐに美容室の研修を受けることになる。

初めて自分で選んで獲得した道。それは、高校受験に合格したことよりも何よりも嬉しかった。

しかしながら、当時の労働環境は以下のように相当に過酷なもの。

当時の労働環境
  • 給与総支給13万円
  • 社会保険厚生年金なし
  • 1日12時間以上労働(休憩無しとなることも多い)
  • 仕事にかかる講習費や道具代は全て自費

朝から晩まで休みも少なく働き続けても低賃金。見栄を張るためにカードローンやリボ払いで身の丈に合わない洋服ばかりを買っていた。

このような環境にいながらも、自分が選んだ職業だし「成功すれば大変なことも減るはずだから」と自分に言い聞かせた。

4年かけて通信制の美容学校を卒業して美容師国家資格取得、スタイリストになるまでは上りつめた。

すごく嬉しかった反面、何か満たされないものが心に残る。

Shin
自分はずっと地元で育ってきた。まだ若いし、何か大きいことをやりたい

美容師としての”手に職”もある

そうだ!都会へ、東京へ出よう!!

 

それが、私が4年間社会人として仕事をして、初めて思い付いた転換点だ。

2007年 23歳 初めての東京

1Kキッチン

東京に引っ越すまでは、2回の下見と美容室の面接のための上京で物件を決めた。

初めての実家以外の暮らしに東京を選んだ理由と、東京での生活の詳細についてはこちらの記事をご覧いただければと思う。

tokyolife

東京ひとり暮らし-10年前に住んだ立川市を訪れて-

2017年5月12日

本当は芸能人が来るような、表参道の有名なヘアサロンに転職したかったのだけどうまくいかず、某全国チェーンの高円寺店でスタイリストとして働きながらチャンスを伺った。

しかし業界の事情を聞くと、有名なヘアサロンも上で挙げた地元の美容室のような劣悪な労働環境と変わらず、「本当にそれでいいのか?」と疑問を持つことに。

「全く別の業界への転職」するとすれば、IT業界への転職が最もいいなと思った。

当時から人気の業界だったし、立ち仕事じゃないとか、水を使わなくていいとか、体にも悪くなさそうだと思っての選択。

上京してたったの3ヶ月。私は大きな人生の選択を迫られることになる。

究極の2択
  1. 美容師として、”とことん”上りつめる
  2. IT業界へ転職する

究極の2択。私が選んだのは❷だ。

美容師として上りつめることも、努力次第では可能だったかもしれない。

これは、将来的に趣味や家庭との両立も苦にならないような職を選んだ方がいいのでは・・・といったところまで視野を広げて選んだ結果になる。

だから今でも当時の選択は全く後悔していない。

当時の美容室はなくなってしまったけど、その時仲が良かった同僚は、今でも私の専属スタイリストとしてお世話になっている。

2007-2008年 ITエンジニアを目指すが・・・?

どうやって転職したらいいのかがわからない

東京で働いてた美容室は、オーナーと折り合いが悪く半ば解雇のような形で退職することとなった。

そのため貯金も0、むしろ生活費が足りなくてキャッシングしてたお金も返さないといけないような状況だ。

そんな不安定な状況から、高校時代からお付き合いしていた彼女(現在の妻)には愛想をつかされ、一人で自分の道を模索することに。

どうやってIT業界に転職できるのかもわからないし、そもそもどんな仕事なの?からのリサーチだ。

幸い、スマホがない時代においても一人暮らしの家にデスクトップPCと固定回線はあったので調べることだけは現在と変わらないくらいにできた。

ひとまず、以下の3つの方法を使って目標を達成することにした。

IT業界への転職3ステップ
  • コールセンターで働く(ExcelやWord操作を覚えるため)
  • 何らかのプログラミング言語を覚える(Javaを選択)
  • 基本情報技術者試験に合格する

現在から見ても、未経験でIT業界へ転職したい人にはわりと有効なステップだと思う。

コールセンターを選んだのは、派遣社員として比較的簡単に働き口が見つかりそうで時給も良かったからだ。

コールセンターで仕事・副業・勉強

派遣会社での登録を終えて、飯田橋のコールセンターで働くことになった。

時給は1200円、交通費は全額支給、社会保険厚生年金ありと、派遣社員でありながら正社員だった美容師の頃よりもずっといい待遇になる。

仕事内容は、とある携帯キャリアを利用する法人顧客からの問い合わせに対応するといったもの。(操作説明、故障時の代替機発送手配等)

未経験で難しいところもあったものの、それほど多岐にわたる業務内容ではなかったため比較的短期間で覚えることができた。

本業と並行して、収入を増やすために土日はビラ配りのバイトをしたり、プログラミング言語や基本情報技術者の勉強を必死にやった。

今思えば、たった1年以内の出来事なのに、この間の出来事は自分の中で相当密度の濃い時間として記憶されている。

今勉強する習慣が身についたのも、この時のことがあったからだろう。

資格取得について

基本情報技術者を受ける前に、前段階としてプログラミング言語「Java」の理解度を証明する資格SJC-P(Javaプログラマ)を取得することにした。

半年くらいの勉強の結果、無事に合格することができた。

Shin
現在でもオラクル認定Javaプログラマ(Silver)として存在する資格ですね。

お金がなかった当時、3万円近い受験料を賭けての受験は本当にプレッシャーでした。

その後、さらに難しい題材である基本情報技術者にトライするものの、意味がわからなすぎて不合格。

必死に勉強していたつもりだったけど、経験がない中での“理解”とはそれぐらいのものなんだろう。

基本情報技術者試験は、2016年の秋期試験にて合格

IT企業へ転職・そして失敗・・・

コールセンターの仕事や人間関係は全く苦にならなかった。

契約社員で直接雇用のお誘いも頂いた中、自分が目指していた道を曲げたくなかった。

本当はもっとコールセンターの仕事を続けていても問題なかったけど、希望の業界に早く転職してみたかった。

今思えば、プログラミング言語の勉強なんかよりも、IT業界・企業の研究の方が最も大事だったはずだ。

結果的に、何となくで受けた中小企業に就職することになる。

この会社は、今で言う“SES”の会社で転職は成功とは言えなかった。

SESとは
SystemEngineeringService”の略で、自分の会社で製品やサービスを作らず、システムエンジニアを顧客企業へ派遣することで利益を得ている企業。いわゆる“正社員の派遣”

必ずしも悪い企業ばかりではないが、Twitter界隈では避けるべきと言われている業態である

入社して3ヶ月は頑張ったものの収入は派遣社員時代よりも減り、過酷なサービス残業を強いられるような会社で体調を崩し退職。

お金がない中、適応障害の療養のため自宅で過ごすことに。

おそらくここで精神が保たなかったのは、仕事の内容がどうこうと言うよりも、努力した内容に釣り合わなかった・環境をよくするために転職したのに前の環境以下の暮らしになってしまったことが要因だったのだろう。

しかしながら、これが人生で第一段階目の”シンプルライフ”に目覚めるきっかけとなった。

2008年 24歳 シンプルライフ第一段階

散らかった部屋

シンプルライフを始める前の散らかった部屋

当時”ミニマリスト”なんて言葉はもちろんない。

でも、お金がないから、生活を支える手段がないから、不要な物は徹底的に手放してお金に変えていくしかない。

美容師時代に見栄を張るために無理して購入した服などは、これからの生活には不要だ。

お金に変えられるものは徹底的に売り払った。メルカリだってもちろん無いから、モバオク、ヤフオク、店頭買取を駆使して徹底的にお金に変えた。

Shin
当時から多趣味だったので、本やCD,DVD,楽器などもいったんまとめて手放しました。

とりあえずスッキリした。部屋に視界を遮るものは何も無い。

不用品をどんどん手放す中、私にはどうしても残したい物と欲しい物が一つづあった。

どうしても残したい物:YAMAHAのアコースティックギター(APX)

YAMAHA APX(エレアコ)

YAMAHA APX(エレアコ)

美容師の仕事を辞めてコールセンターで働き始めてから、私の一番の趣味はギターを弾くことになった。

中学生の時から始めて全然弾けるようにならなくて諦めたから、いつかは再挑戦したいと思ってた。

ロック好きだからエレキギターしか弾いたことがなかったけど、ふとアコースティックギターを始めようと思い購入。

響きの違うコード(和音)の進行を組み合わせて曲が成り立っていることに感動し、毎日アコースティックギターを弾くようになった。

Shin
エレキギターやエレキベースといった楽器はコードの成り立ち等を知らなくても弾けるようにできているので、この時初めて音楽の理論的なことを意識するようになりました。

そして、アコースティックギターでコードをじゃかじゃか弾く場合、ちゃんとした楽譜がなくても歌詞の上にコード(C、F、G)などが書いているコード譜さえあれば一曲演奏することができる。

アンプもエフェクターもケーブルも要らない、そんなシンプルな楽器としての魅力に溢れた一本は、どうしても手放せなかった(結果的にその数年後の断捨離で手放してしまった…)

どうしても欲しいもの:MacBook13インチ

macbookearly2008

この写真は、2015年に撮ったもの

いつでも引っ越せるように、どんな場所でも調べ物や作業ができるように…自宅にあった自作のデスクトップPCは、ノートパソコンに買い換えたいと思った。

当時私はWindowsのPCしか使ったことがなく、存在は知っていたけどMacに手を出そうとは考えたことがない。

コールセンター時代の同僚でミュージシャンをやってる人にMacの良さと実用性を聞いて、思い切って買い換えることに。

OSX Leoperd、2コアCPU、2GBメモリ、128GBのHDD、DVDドライブで約15万円と、当時にしては悪く無いスペックであるもののかなり高い買い物

もうカードローンやリボ払いのお世話になりたくなかったから、なんとか不用品を処分したお金と所持金で購入。

上京当初に頑張って買ったiPod Classic(30GB)との相性ももちろん抜群で、懸念していた使いにくさも全くなかった。

iPod Classic 30GB

iPod 30GB

今思い返しても、これを超える満足感の買い物ってなかなか無いと思う。

結果的に当時のMacは全く飽きることなく、7年後まで一度も買い替えなしで使われることになる。

部屋からは何もなくなった

残念ながら、当時のガラケーで撮った何もない部屋の写真は消失してしまった。

写真は無くなってしまったものの、何もない部屋で過ごして心が軽くなったことは、今でも鮮明に覚えている。

毎日、All Aboutのシンプルライフ特集や、シンプルライフできれいに暮らす等のサイトを見て「こんな暮らしを構築しよう」と心が踊った。

ちょうどその時から、家でコーヒーをドリップする技術も覚えた。

仕事も貯金もないけど、家でコーヒーを淹れて、Macで情報収集をして、ギターを弾いて、ビールを飲んだり、一人で飲みに出かけたり。

モノが無くてもこれほど優雅に過ごせるものかと思った。

さすがに無収入でこのような生活を継続することはできないので、東京での暮らしに未練を残しつつも、一旦地元で生活をやり直すことにした。

2008年 24歳 地元で再びIT系の仕事にトライ

地元で自分が希望するような仕事があるかどうかも全くわからない状態だったけど、お気に入りのギター、MacBook、iPodを抱えて愛媛県に戻ってきた。

体調不良での退職理由から失業保険の給付をすぐに受けることができたため、金銭面の心配はない。

実家で暮らしているし、あとはじっくりと地元での新生活を再構築すればいいだけだ。

ちょうどその頃(2008年9月15日)にリーマン・ショックが起こった。

今でこそ、リーマンショックが何だったのかは理解しているけど、当時の私は

Shin
リーマンショック?サラリーマン限定の経済的危機なのか!?

と、本気で思っていた。(ある意味間違ってはいないけど)

世の中で起こっていることをそれくらいの認識でしか捉えられていないにも関わらず、転職活動をしていたのは若いからこその勇気ある試みだ。

実際にリーマンショックによる景気低迷の影響を受けて仕事が無くなってしまうのは、もう少しだけ先の話になる。

職安で求人を見ていると、派遣社員ではあるものの、ネットワーク運用の求人が見つかった。

ちょうど、今現在やっているのに近い仕事だ。

その求人の内容がとても気に入り、職安経由で派遣元の派遣会社へすぐに登録を行った。

派遣先への面談もすぐにセッティングされ、トントン拍子で新しい仕事が決まる。

本当は正社員で就職するのがよかったのかもしれないけど、東京の会社での出来事を考えると、時間で残業代の支払われる派遣社員の方がコスパがいいと思った。

それは今考えても間違っていないと思う。

新しい仕事は、決して簡単ではなかったが周りの人とも上手くやれて、残業となっても残業代は支払われるので生活はだんだん豊かになっていった。

趣味も充実

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新しい仕事を始めるまでは、東京で最後に過ごした時のように実家でもシンプルに暮らしてたけど、生活が豊かになってくるとやはりお金を使いたくなる。

当時の趣味は相変わらずギターを弾くことで、エレキギターやエフェクターなどどんどん機材を増やしていった。

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ちょうどこの頃にベースを初めて、新しく始めたバンドではベーシストとして活動することになった。

他には今と同じでアニメを見たり酒を飲むくらいしか趣味がなかったから、楽器も無理をしなければ欲しい物を買って楽しむことができた。

その時に出会ったバンド仲間とは、帰省する度にいつも飲みに行く仲だ。

無理のない仕事と、趣味のバンド活動でとても充実した期間になった。

しかしながら、充実した期間もそれほど長くは続かなかった…

2010年 26歳 失業と入院

前の項目で書いたとおり、当時はリーマンショックが起こった直後で、日本もとても景気がいいとは言えない状況だ。

一生懸命に取り組んでいた仕事だったが、派遣社員であったため残念ながら2年弱で契約終了を言い渡されることとなった。

今まで自己都合以外で仕事を辞めたことはなく、一番気に入っていた仕事で失業することになったのはショックでもあり屈辱だった。

状況を噛み締めつつ、契約終了まで今までと変わらず真面目に働いた。

そんな中追い討ちをかけるように、口の内側、左上の奥歯のさらに奥に大きな腫れ物ができていることに気がつく。

腫瘍切除のため入院

口内にできた腫瘍は、悪性なのか良性なのか、切除が必要なのか等判明するのに随分と時間とお金がかかった。

医療保険にも入っていないし、初めての経験だったので不安でいっぱいだ。

昔の喫煙が原因か?とも思ったけど、因果関係は不明とのことだ。(美容師時代にタバコは辞めていたので禁煙してからは数年経っている)

結果的に全身麻酔での切除手術と入院が必要となった。

初めての入院〜手術はとても不安だった。幸い、今現在に至るまで再手術や入院が必要になったことはないが、麻酔後に体が動かなくなる感覚や傷口の痛みなどは二度と味わいたくない。

「真面目に生きてきたのに、何故自分がこんな目に…」

と思っていたけど、このようなことは割と誰にでも起こりえることなので仕方がない。

入院中は時間ができたので小説を読んだ。ちょうどその頃に村上春樹氏や伊坂幸太郎氏の小説に出会った。今でも私の愛読書だ。

切除した腫瘍細胞を検査した結果、良性であることが判明し、術後の経過も良好。

数度の通院を経て、通常の日常生活を送れることとなった。

お金もだいぶ必要になったけど、高額医療費制度のおかげで何とか大打撃を受けずに済んだ。こういった制度を知っているかどうかで今後かかるお金は変わってくるのでぜひ押さえておきたい。

再び転職活動へ

体の調子も良くなってきたところで、再び転職活動だ。

今回「派遣社員だとこのように職を失うことがある」ことを学んだので、転職先は正社員に限定して探した。

リーマンショック発生後なので、求人の状況は厳しくなってきている。

前回同様に、気になるIT企業の求人には徹底的に申し込んだが、書類選考すら通らず何十社も落ちることになる。

さすがにここまで落ちると、自分の存在自体が無意味じゃないかと思えてくるようになる。

今までそれなりに真面目にやってきたと思ったものの、勤続が短かったり正社員じゃなかったり、新卒でやってた美容師の職歴くらいしかまともに評価されない状態。

“手に職”があっても、結局働ける先は美容室くらいしかなく、苦労して取った割に本当に潰しの効かない資格だなと思った。

失業する前に基本情報技術者の一つでも合格していれば話は違ってたかもだけど、安定した生活に安心してトライしないまま失業を迎えてしまった。

失業保険の給付はあるものの、やっぱり26歳で「無職」なのは耐え難い。

Shin
早く正社員として働こう

転職できたら、車とロレックスのエクスプローラーを買おう!

 

そう思って頑張った。その頃には「シンプルライフ」という軸は自分の中で消滅していたのだ。

IT業界への転職を諦めた

あまりにも仕事が決まらない。面接先どころか、ハローワークの職員にすらも自分の希望と経歴との乖離を酷評される始末。

どんどん焦る気持ちが高まった。

「自分は元々理系じゃないし、基本情報も取れなかったのだからIT系の職種自体が向いてないのではないか・・・」思考はそのような方向へ向くことへ。

もう何でもいいから、正社員で就職できればいいじゃないか。

それが自分の“軸”になってしまった。

少し幅を広げて、電気やガスなどのインフラ業界や、営業職も視野に入れた。

そんな中で見つかったのが、ガス器具メーカーの下請けで顧客のガス器具を出張修理する仕事だ。

機械を触るエンジニア職だし、何となくだけど自分に適性があるかなと思った。収入もそれほど悪くないように見える。

職安経由で連絡を入れてもらいすぐに面接。今までの苦労は何だったのかと思うくらいあっさりと正社員で採用決定だ。

「これで車も買える!エクスプローラーもゲットだ」

そう思った。

しかし、もうお察しの方もいるだろう。

常時求人を出していて、全く業界経験のないような人間を簡単に採用するような会社が、どのような企業かということを・・・

2010-2014年 フィールドエンジニアとして働く

想像を絶する職場

新しい業界へ転職できたことは本当に嬉しかった。

Shin
散々苦労したけど、こんな自分を雇ってくれる会社があるなんて世の中捨てたもんじゃないな

採用してくれた社長は“いい人”だな

この会社が常時求人を出していて、簡単に人を採用する理由はすぐにわかった。

仕事の内容は、一般の住宅やお店、施設などに取り付けられているガス器具(給湯器、ガスコンロ等)が故障したと連絡を受ければ、現地に行って器具を修理したり必要によっては新たに販売すること。

これだけを聞くと、それほどキツい仕事には見えない。私もそう思った。

実際には、顧客単価や毎日の粗利に非常に高額なノルマを課せられ、達成できないと社長や上司に怒号・罵声を浴びせられるような職場だった。

怒号や罵声は毎日だとだんだん慣れてくるのだが、ノルマ達成のために会社に命令される事がとても酷く、心が痛んだ。

たとえば、修理箇所を偽って高額な修理代金を請求したり、まだ買い換えるような段階ではない機器を無理やり買い換えさせるといったことだ。

とても社会的に許されるようなことではない。しかし、転職に苦労した私は、こんな会社でもずっとやっていくしかないと思い、真面目に頑張った。

それだけでなく、昼も夜もなく長距離を車で移動したり、雨や雪でも屋外で作業をしないとしないような仕事は今までに経験がなく、体力的にも本当に辛い。

せっかく長年やめていたタバコもまた吸いはじめ、酒量も増え、自分の体もどんどん破滅に向かうばかりだ。

不規則すぎる生活で両親にも迷惑をかけるため、実家を出て地元での一人暮らしも始めた。

そんな中、私が自分の心を支えるために選んだ手段は、衝動買い。

収入を考えず、転職前から欲しいと言っていた車とロレックスを、ローンで無理やり購入する強行手段に至ったのだ。

この辛い辛い状況を耐え抜くために、自分自身を象徴するモノ」として買った3つのモノをここで紹介したいと思う。

その1.スバル レガシィツーリングワゴン2.0R 5MT

BP5D Legacy

車に興味を持った20歳くらいの時から、この車が欲しかった。

新車の販売価格は、美容師として働いていた年収の2倍以上だったので、当然購入できるわけはない。

このモデルも発売されてから年数が経ち、5年落ちでなんとかローンで購入できる金額まで落ち着いてきた。

元々、就職できれば車を買う目標があったので、この車は入社してから割と早い段階で長期のローンを組んで購入した。

「ローンを払い終わるまでは、辛い仕事でもなんとか辞めずに勤続できるだろう」と。しかし現実はそんなに甘くはない。

その2.Fender JazzBass1974年製

Fender Jazzbass1974

Fender Jazzbass1974

現行のアメリカン・ヴィンテージシリーズではなく、本物の74年製のビンテージ。

仕事が変わってからもバンド活動は継続していて、当時メインで使っていたフェンダーメキシコのプレシジョンベースより、さらにいいベースが欲しくなった。

初めて手にした“本物”のフェンダーUSAの音は感動的で、最終的にミニマリストになる直前まで、バンド活動を支える重要な一本となった。

今紹介している3つの中でこのベースは最も価格が低く、1年くらいの分割ですぐに自分のモノにする事ができた。

その3.ロレックス エクスプローラー Ref.214270(前期)

ROLEX EXPLORER1

ミニマリストになる時に手放したROLEX EXPLORER1

今現在愛用しているロレックスのエクスプローラーは、実は2代目となる。

勤続して3年が過ぎた頃、朝起きて目眩で立ち上がれなくなった。

自律神経失調症だ。何とか通院をしながら仕事を継続した。

病院のちょうどすぐ近くにあった正規店にふらっと立ち寄ったところ、勧められるがまま3年の無金利ローンを組んで購入してしまった。

当時(2013年)は普通に正規店でスポーツモデルを買う事ができて、他のモデルも見比べ放題だったのだ。

それだけで済ませればまだよかったものの、その数ヶ月後に同じ方法でエクスプローラー2(Ref.216570)も購入した。

explorer2-216570
さすがにこれは、周りもドン引き。「完全に病気だろう」と。

ストレスからだんだんと頭がおかしくなって、制御不能になっていった。

結局このエクスプローラー2は使いどころがなかったので、数ヶ月後にローンだけを残したまま専門業者へ売却した。

今現在まで持っていれば、購入時の2割増しぐらいの価格で買取してもらえたのだろう。当時ロレックスの買取額は定価の6-7割程度だった(それでもリセールバリューがいいことに変わりはない)

 

ここまで読んで、当時の私の借金総額がどれくらいのものであったか、わかる方にはわかると思う。

総額300万円以上だ。

このように収入を考えず物に散財することは、まともな感覚を持つ人であればまずないだろう。

辛すぎる仕事に耐え、割に合わないながらも美容師時代の2倍、派遣社員時代の1.5倍の年収を稼ぎ出せるようになった私は、高額なローンも簡単に通り欲しい物がすぐに手に入る感覚に快感を覚えやめられなかった。

さて、この3つを手放せるかどうか?が今後自分がミニマリストになる際の大きなカギとなる。

ついにうつ病にて退職

当然ながらそのような仕事を長年継続できるわけもなく、4年半必死に頑張った後のある日の朝、体が動かなくなった。

ローンの支払いだけをモチベーションに仕事をするのは、あまりに無理があったのだ。

もう、あの仕事に復帰することはできない・・・完全に燃え尽きて心が折れてしまっていた。

毎日の地獄を長年耐え忍んだ仕事は、このタイミングで退職した。社長に「うちの仕事は高度だから、また美容師か派遣にでも戻るか?」と言われながら…

これから先、回復しても何の仕事をしたらいいのかもわからない。

とりあえず、副業やネットビジネスに関する情報を一通り集めて、FXのデイトレーダーを目指すことにした。

普通に考えて、借金まみれで元手もなく世界経済や投資に関する知識を持たない私が急に勉強したところで、土俵に上がれる世界ではない。

なけなしの元手を溶かしきった後、いよいよ最終局面。また究極の2択だ。

究極の2択 その2
  1. 人生を継続する
  2. 人生を終了する

これほどまでに追い込まれていた。

Shin
今まで真面目にやってきたのに、これほどまでの仕打ちを受ける世の中になど生きられない

ただ、私にはまだ希望があった。

Shin
こんな目に遭う世の中ならば、そうなる原因に近づかなければいいだけじゃないか?

それが自分にとっては「仕事」や「会社」というものだった。

もう一段階思考を深める。

Shin
仕事や会社に行かなくても、生きているのであればまた楽しいことができるしいいじゃないか!

決まった!!究極の2択の答えは❶だ。

これが、私をミニマリストへ導いたきっかけになる。

2015年 31歳 ミニマリストを目指す

身軽な生活を送るために何をすればいいか、過去の断捨離のノウハウがあったことで直ぐにわかった。

今の自分にとって不要な物は、全てお金に変えるか捨てればいいのだ。

シンプルにこの手順を踏む事以外に達成のしようはない。思い立ってからの行動は早かった。

中々やめられなかったタバコも、仕事を辞めた事ですぐにやめることができた。

過去に、2008年に一度大きな断捨離をしているのだから、やる事もやり方も全く同じだ。

恥ずかしながら、最初の断捨離から約7年で、また同じように使わない楽器やCD,趣味の道具を大量に溜め込んでいたのだ。

これらは同じように買取に出してあっという間に片付いた。

それだけでは飽き足らず、同じように中途半端な趣味の道具や美容師時代の仕事道具を積み重ねた実家の部屋も一気に断捨離した。

実家から処分したゴミは、ゴミ袋10袋分!

実家から処分したゴミは、ゴミ袋10袋分!

幸い、当時は傷病手当金の給付を受けることができていたので、無理をしなければ地方で十分に暮らしていけるだけのお金が入っていた。

さて、ここまで断捨離をして最終的に自分の手元に残ったものは、上の項目で紹介した3つ

  1. 車 レガシィツーリングワゴン
  2. 楽器 フェンダージャズベース
  3. 時計 ロレックス エクスプローラー

楽器以外はまだローンが残っている。

この中で、手放すことによって一気に月々の負担を減らすことができるのが車だ。

某有名買取専門店での買取額は驚くほど安かった。ローンの残債から買取金額を差し引いた金額を手持ちの貯金で支払った。

一気にお金がなくなったが、持ち続けるよりはここで清算した方がトータルでの出費は少ない。

次は楽器だ。実は楽器はそれなりのブランドの物であれば高く買い取ってもらうことができる。

これは手元に残った最後の一本だった。手放してしまうと、同じ状態の物を手に入れることは難しい。

バンド活動もこの頃には休止していたため、思い切って手放すことにした。

Shin
今は借金を片付けることが一番大事。

どうしても弾きたければまた安いベースを買ってやり直そう。それぐらいの腕は付いたのだから

思い切って売却。幸い、買取金額は購入した価格とほぼ同じだった。

最後に、ロレックスの時計。

この時計を売却することで、車と楽器と比べても最も多くの金額が生み出されることはわかっていた。

Shin
このように困窮するということは、自分にとってはまだ不相応なモノだったんだ

こちらも、某ロレックス専門店にて売却。

当時の買取額は、定価の7割ほどだった。今であれば購入時の定価以上で買取が可能だが、そんな事は当時から予測できるわけはない。

この断捨離が功を奏して、当時300万円近くあった借金総額は、一気に50万円以下にまで下がった。

さすがに0とはならないものの、あとはミニマムライフコストを下げれば借金は完済できる。実際にそうなった。

何もない部屋、仕事に縛られない生活、借金のない生活

ミニマリストの部屋

間違いなく、第一段階のシンプルライフの時よりも満足度の高い生活だ。

ギターは弾かなくなってしまったものの、毎日コーヒーを淹れて、ネットを見て、アニメを見て、本を読んで、ビールを飲んで。あの頃とほとんど変わらない幸福な生活だ。

ちょうど佐々木典士さんの「ぼくたちに、もうモノは必要ない」が発売されて何度も読み、ミニマリストとしての思考は洗練されていくことになる。

ミニマリスト本
このような背景があったから、私は佐々木さんには感謝しきれないほどに感謝している。

 

さて、ここまでが私がミニマリストを目指すまでの出来事である。

ここまでで、まだ今現在のシステムエンジニアの仕事を始めたり、結婚するには至っていない。

次回は、「ミニマリストになってどういった生活を送って何を得たか」を紹介したい。

 

読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

後編はこちら

私がミニマリストになるまで [後編]

私がミニマリストになるまで [後編]

2020年4月29日

過去の記事はこちらに

splifestart4-1

私がシンプルライフに目覚めたきっかけ その4(last)

2016年12月23日

私がシンプルライフに目覚めたきっかけ その3

2016年12月23日
splifestart2−1

私がシンプルライフに目覚めたきっかけ その2

2016年12月23日
splifestart1

私がシンプルライフに目覚めたきっかけ その1

2016年12月23日

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