前編では、高校を卒業してから転職や上京、病気療養を繰り返しミニマリスト生活を始めるまでについて書いた。
後編は、ミニマリストになってからの仕事、結婚、2回目の上京から今現在に至るまでを詳しく紹介したい。
2015年 31歳 充実したミニマリスト生活
私がミニマリストになるまで [前編]で書いた通り、人生2回目となる大きな断捨離を終えた部屋で暮らすことで、心の負担も軽くなった。
この部屋の写真は、ミニマリスト生活を開始した当初からは少し後の写真となる。
仕事を病気で退職したため、傷病手当金の受給は変わらず受けることができていた。
得られる金額は、毎月の給与の7割ほど。ミニマリストになって贅沢をしなければ、十分にやっていける金額だった。
年金は一定期間の休止措置をお願いし、社会保険は国民健康保険へ切り替え。住民税は普通徴収での支払いが必要となる。
今仕事をしている/していないに関わらず、国保や住民税は前年の所得を元に算出されるため結構な金額だ。
せっかく始めたミニマリスト生活を破綻させないため、この辺りのお金は遅延しないよう優先的に支払った。
さて、ミニマリストになってからの毎日は[前編]で紹介したのと同じだ。
コーヒーを淹れる、本を読む、ネットを見る、アニメ・映画を観る、ビールを飲む
このルーティンをとにかく繰り返しながら、将来の方向性を模索した。
- 会社に勤める
- ブロガーやトレーダーなど会社に属さず生活する手段を考える
体の具合が良くなった場合、傷病手当の受給を停止して雇用保険からの給付金に切り替えることも可能。猶予はまだある。
焦って就職してまたハズレを引いてしまったら、今度こそ終わりだ。
相当に慎重になった。
自宅でPCを使ってできる何らかのお金を生み出す手段(証券取引やアフィリエイト)なども模索するが、コレといって生活を支えられそうな目処が立たない。
この期間は、人生の休憩時間と捉えて、焦らず毎日のルーティーンを繰り返してじっくり考えることにした。
そんな生活を半年ほど続けたある日、きっかけとなる一本の電話が携帯にかかってきた。
2015-2017年 IT企業のカスタマーサポート職を勤める
派遣会社からの一本の電話
かかってきた電話は、登録していた派遣会社の営業担当からだ。
少し考えるため、電話を切った。
直感で「そこで働きたい!」と思った。
大手企業だし、自分が心配しているような人間関係のリスクもおそらく抱えていないだろう。
しかし再就職手当受給の猶予はあと半年ほどある。それを貰いながら毎日同じ生活を繰り返すことももちろん可能だ。
万が一失敗したら、また同じ生活に戻せばいいか…
数分で色んな思考が駆け巡った。
5分も考えなかったと思う。すぐに折り返しの電話をかけた。
すぐに面談の日取りは決まった。
経験の少なさから不安はあったものの、過去のコールセンターでの仕事やIT系資格を評価いただき、暖かく迎えてもらうこととなった。
2015年7月 新生活スタート
新しい仕事の内容は、難しいながらも大手企業ならではの研修制度とマネジメントにより、負担なく覚えることができた。
何よりも、そこにいる人たちが今まで働いていた環境とは全く違う。
生まれ育った環境や通った学校などの違いで、これほどまでに違うものかと思った。
これこそが、私が求めていた”仕事”や”会社”のあり方だった。
当然、仕事も私生活も大充実。
久々に会う友人にも「体調すごく良さそうだね」とか「数年前と全然雰囲気違うよ」と言ってもらえることが多くなった。
満足できる仕事とミニマリスト生活の相乗効果で、自分自身がどんどん磨かれていった。
新しい趣味にも目覚めることができたので、ここで紹介したい。
新趣味その1 ロードバイク
ミニマリストになる直前に車を手放したので、生活は全て自転車。
最初は普通の自転車しか持っていなく、同僚からロードバイクの楽しさや素晴らしさを聞き興味を持つことに。
仕事を初めて半年くらい経った頃に新たに始めようと思って、アメリカ製のCannondale(キャノンデール)のロードバイクを買った。
とことんハマって休みの日は毎日走り込んだ。
嬉しいことに地元では、“サイクリストの聖地”と言われる愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶ「しまなみ海道」がある。
島と島を結ぶ橋には自転車と歩行者用の走行レーンがあり、海から約50m上を自転車で走行して渡ることができるのだ。
橋を自転車で渡って、生まれて初めて”景色”に感動した。まさかその景色が、自分が生まれ育った県にあったとは。
橋の入り口までも自宅からは片道60kmほどあり、車でも1時間以上はかかる距離。
そんな長距離も自分の足で走破できるようになったことに、達成感でいっぱいだった。
今回の騒動が落ち着いたら、是非自転車で渡ってみてください!レンタルサイクルもあります。
徐々に走り込んで体力をつけて、ついに2016年5月6日に、愛媛県松山市の自宅から広島県尾道市の尾道駅まで往復250kmを1日で走破できた。
これは本当に嬉しかったし、趣味だけでなく仕事や生活においても今後の大きな自信に繋がった。
残念ながら、かなり根性のいる1日だったためにこれ以上の距離を走ることはもうなかった。
ロードバイクは東京に引っ越す前に手放すことになったのだけど、また機会があれば乗ってみたい。
新趣味その2 ブログ
ブログを始めたのはこのタイミングだ。
実は今のブログより前に、無料のFC2ブログで立ち上げた前身となるブログがある。
ちょうど自転車にハマっていた時期に書いたから、自転車とシンプルライフに関することが軸となっている。
2015年の11月にブログを書き始めた。1年継続して自信がついたので、WordPressで今のブログを立ち上げあることにした。
ブログは引越しではなく、気に入っている数記事だけをこちらに移して、2016年の11月から開設した。
記念すべき第一記事の投稿日は2016年の11月7日だ。記事数は、この記事を投稿した時点で363記事となる。
まさかここまで習慣として継続できるとは。自分でも驚きだ。
ブログのPVが伸びるにあたって、執筆環境もどんどん整えていった。一番ベストだったのは、アーロンチェア+iMacの組み合わせ。
ここまで環境を整えたところで、執筆能力は爆発的に向上し、よりボリュームと内容のある記事を書くことができるようになった。
一般人がアーロンチェアとはなかなか不相応な品かもしれないが、ブログだけでなく次に上げる資格試験でも大きなパフォーマンスを得ることができた。
新趣味その3 資格試験
せっかくまた始めることができたIT業界での仕事。
今度こそ、自分が諦めた資格を取得して、この業界で仕事をしたことをはっきり証明しようじゃないか。と思った。
仕事を始めて、以下の資格試験に合格した。
- 2015年秋 ITパスポート
- 2016年秋 基本情報技術者
- 2017年春 応用情報技術者
「基本情報技術者まで取れれば」と思っていたものの、どうせならと思って受けた応用情報もまさかの一発合格。
それほど資格を持っていることが重視される会社ではなかったのだけど、合格できたことは大きな自信に繋がり仕事のパフォーマンスも向上した。
IT業界で資格を持っているかは、確かにマストではない。ただ私は過去の失敗から自分の経験や知識を客観的に証明するために何としても取得したかった。
また、今後の転職で不利になった時に「資格がないから失敗した」と負い目を作らないためにも、この期間を利用して徹底的に取得した。
結果的にこの時に勉強したことは今現在の自分の仕事の助けになっているし、さらに上位の難関資格も取得できた。
焦らず、諦めず、コツコツとやることが一番大切なのだ。
2017年 33歳 結婚と上京と転職
妻との再会と結婚
[前編]にも少し書いたとおり、高校時代からお付き合いしていた現在の妻は、2007年に上京して転職がうまくいかなくなった時期から疎遠になっていた。それでも、数年に1度くらいは連絡を取ったり、会うことはあった仲だ。
仕事も趣味も充実して、まさに人生最高潮の時を迎えていた私は、2016年のある日に地元で妻と再会することになった。
妻は2011年ごろから東京で働いていたようで、私が東京にいる時に妻は地元/私が地元にいる時に妻は東京といったすれ違いの生活だ。
元々自分は結婚願望はそれほどなかったけど、誰かと一緒に暮らすなら妻と暮らしたいと当時も思っていた。
お互いに今までの事や今現在のことを話し合って「結婚しようか」ということになった。
住んでいる場所の違い、私の非正規雇用による収入の問題など、クリアしなければならないことはたくさんある。
結果的に私が転職をして、東京で一緒に暮らして行くことにした。
2017年11月22日”いい夫婦の日”に、地元の市役所に婚姻届を提出しに行き、その後地元の少し豪華なホテルで食事をした。
今後結婚式を挙げられるかもわからない。これを2人の結婚式にしようと思って十分に楽しんだ。
転職と上京については、次の項目で紹介する。
東京への転職について
このタイミングで2018年の1月に転職したのが、現在働いているIT企業だ。
元々働いていた会社も、本社は東京にあり、正社員の採用試験を受けて本社で働く選択肢もあった。
しかし、ご存知の方も多いと思う。大企業において正社員で入社することと派遣社員で入社することの難易度には、天と地ほどの差がある。
トライするのであれば、自分のネットワークやプログラミングの知識をもっと深いものにしてからトライしたいと思った。
そのため大変お世話になっていた前職は一旦退職して、システムエンジニアとしての道を再度歩むことにした。
今までの転職での失敗を生かし、自分が進む会社はいくつかの選択肢の中から選んだ。
もっとも大切なのは収入だ。
一人であれば派遣社員の収入でも何ら問題はないのだけど、結婚して暮らしていくことになる。
自分が進むことができる企業の中で、最も多くの収入が得られそうな会社を選んだ。
他の会社は「お金に関することをはっきりと答えない」「書面で提出しない」などの不透明な部分があったため、避けておいて正解だったと思っている。
ネットワークインフラ系の会社と、アプリケーション開発系の会社との両方の選択肢があった。
上記の背景から選んだのがネットワークインフラ系の会社だ。インフラ系SEとしてのキャリアをスタートさせたのは、これがきっかけとなる。
上京について
仕事が決まれば、次は二人で住む家を決める必要がある。
妻は私が上京するまでの間も都内で働いている。私の都合で違う区へ引っ越させるのはあまりよろしくない。
そのため、妻が住んでいるのと同じ区内の物件を借りることにした。それが今住んでいる部屋だ。
1DKでありながら、私がミニマリストであるおかげで何とかモノは溢れずに生活できている。
残念ながら、妻は「ミニマリストの価値観は認められない」とのことだ。
引っ越しは、物が少なかったおかげで、宅配で数箱のダンボールを送るだけで済んだ。
そして、大事にしていたロードバイク・アーロンチェア・iMacは、新居のスペースの都合から手放すこととなった。
Macだけは、ブログの執筆を継続するために15インチのMacBookProに買い換えた(これは重かったので、その後MacBookAirに買い換えられることになる)
これが、何もなくなった状態の最後のミニマリスト部屋だ。
2013年にマキシマリストの状態から住み始めて、2015年にミニマリストになり2017年末で退去。
本当にこの部屋に住んでいる期間だけで、色々なことがありすぎてあっという間だ。
新居では、奥様の希望も踏まえつつも、できるだけスッキリとした部屋となるように心がけている。
2019年 35歳 妻の妊娠と結婚式
東京での生活は2回目だし、仕事も自分の経験を生かした上で吟味した仕事だから、順調に進めていくことができた。
新婚生活一年目は特に大きな変化もなく、2人で東京や横浜の色々な所に出かけたり、一人の時はブログを書いたり資格試験に挑戦したりと今までと変わらない生活を送った。
そして、東京での生活を初めての1年半後に、妻の妊娠が発覚。
「これはいよいよ自分がしっかりと生活を支えていく必要がある」と、仕事、資格試験、ブログ執筆とどれも手を抜かず頑張った。
そして妻から、「子供が産まれるまでに結婚式をしたい」と言われ、2019年の11月2日に地元で結婚式を挙げた。
私は元々結婚式不要派だったけど、多くの人にお祝いいただけて楽しい時間を過ごすことができて、本当に挙げてよかったと思っている。
2019年はこのように妻の妊娠から結婚式、自分の中では最難関資格だったネットワークスペシャリスト試験に合格した事などもあり、バタバタと2020年を迎えることになる。
そのほか、ミニマリストとしては各種オフ会やイベントに参加し、地元にいた時よりも精力的に活動することができた。
2020年 1月 第一子誕生
2020年1月11日に第一子となる男の子が誕生した。
何のご縁か、私の父と同じ誕生日だ。
自分と妻と両方の特徴を同じくらい詰め込んだ息子の顔は、本当に可愛い。
入籍した時よりも、2人で暮らし始めた時よりも、より一層「家族を支えていかないと」という気持ちは強まった。
浪費は避け、ブログ執筆による副収入を得たり、積立投資やiDecoなどを駆使してお金をしっかりと守っていく必要がある。
これからは、パパブロガーとしての目線から書いた記事もどんどん紹介していきたい。
2020年現在 大切にしている物
ここまで書いてきたとおり、今まで相当な物の購入と断捨離があった。
[前編]に引き続き、2020年4月現在に大切にしている物3つをご紹介。1. MacBookAir 2018
今現在この記事を書いているパソコンだ。どんな時もパソコンだけは絶対に手放せない。
パソコンがあることで、十年以上前からIT業界での仕事やシンプルライフについて、徹底的に調べることができた。
2007年の初めての一人暮らしで『パソコンを買う』選択肢にたどり着かなければ、恐らく今ほど充実した生活は送れなかっただろう。
なお、こちらは自分にとっては4台目のMacとなる。
デスクトップや15インチ等も使用して、13インチで薄型のMacBookAirが、最も自分のパフォーマンスを発揮するのに最適な道具であることがわかった。
将来モデルチェンジされるとすれば、同じモデルの最終型を買ってストックしておきたいくらいお気に入りだ。
2. IWC パイロットウォッチ マーク18
[前編]で書いたとおり、無理して買ったロレックスのエクスプローラーを手放して「もう高級時計はいらない!」と思ったものの、やはり時計が好きなことは変わらなかった。IWCを選んだのは、ロレックスほど知名度がないものの、質実剛健な作りで時計好きな人は誰もが知るいぶし銀のカッコ良さから。
真っ黒な背景に、白色の針と文字で時間と日付だけを表す文字盤は、まさにシンプルイズベスト。
パイロットのための時計だから、視認性も抜群。
こちらは2018年の9月に、結婚と転職のお祝いで中古で購入した。
時計も今までの経験から、最もお得に無理なく購入できる手段で購入できたのだ。
3. ROLEX エクスプローラー Ref.214270(後期)
何と、[前編]で断捨離したと書いたロレックスのエクスプローラーをまた購入した。
自分が手離したのと全く同じ物を購入することは珍しい。
それほどまでに、やっぱりこの時計のデザインやモノとしての存在感が大好きだった。
IWCがある中、もう一つ本格時計を買うのはさすがに贅沢すぎると思った。しかし間違いなく一生使える時計であり、息子にも譲れるため妻も賛成してくれた。
ギャランティーカード(国際保証カード)には、息子の名前を入れたかった。
そのため正規での購入にこだわって、都内の正規店を相当に探し回った。結果的に2020年の1月に正規店で購入することができたのだ。
今度こそ手放さないよう、大事に使っていくつもりだ。
2020年 4月 昨今の事情から思うこと
子供が生まれて1ヵ月もたたないうちに、世界中で新型コロナウイルスの流行によるコロナ・ショックが起こった。
最初は、SARSやMERSと同じで、特定の区域だけで流行しているような質の病気で、自分たちは関係ないと思っていた。
しかしながら、私が住んでいる東京都は人口の多さから日本で最も感染者が多い地域となり、すぐに自粛要請からの緊急事態宣言の対象区域となった。
家に居続けることは苦ではないけれど、里帰り出産で離れて暮らしている妻と息子と一緒に暮らす目処が立たず、大変に困っている。
こればかりは、都会に住んでいることが唯一裏目に出てしまったことだ。
ありがたいことに、仕事は減ることはなくテレワークとなって自宅から仕事をすることができている。これも、過去に努力して自分が納得できる働き方を模索し続けたことの恩恵だろう。
いつ収束するかなど全く予測がつかないから、今は外出を控え、手洗いやうがいなど自分にできることを徹底的にやっていくしかない。
世界中を巻き込んだこのようなことが自分が生きているうちに起こるとは、小説よりも奇な事実だ。
「本当に怖いのは、ウイルスではなく人の心」と誰かがTwitterで言ってたのを見た事がある。不安から日用品の買い占めに走ったり、自粛によるストレスで奇行に走る人もいるなど、世の中の状況もどんどん変わりつつある。
騒動が収束しても、世の中はもっと、実際に対面しなくても人と繋がれるような仕組みに変わっていくのだろう。
それに順応できるように、世の中のあり方にはミニマリストであれど十分に付いて行く必要があると思っている。
最後に、この騒動が終わったらやりたい事、トライしたい事を書いてまとめたい。
これからトライしたいこと
ここまでで、たくさんの趣味や仕事との出会いと別れがあった。
ミニマリストになった今も、トライすることは辞めたくないと思っている。ミニマリストであり続けるから、色々なことに挑戦できるのだろう。
仕事については、今現在の職場にはとても感謝している。しかし、もう少し自分のスキルや人柄を活かせるような環境に身を置きたい気持ちもある。
実は選考にトライしたい会社は自分の中では決まっていて、トライするための必須スキルもそろそろ身につきつつあるといったところだ。
趣味についても、2019年から再開して夢中になったスケートボードも継続できたし、今回の騒動が落ち着けばもちろん再開予定だ。
そして、キャンプや登山なども本格的に参入したいとも考えているし、好きなバンドのライブにも行って、自分自身のバンド活動も再開したいと思っている。
ミニマリストであれば何回でも挑戦できるし、いくら失敗してもいいのだ。
一つだけ言えることは、今まで「やってみたい!」と思ったことはほとんどトライできていたのは良かったと思う。
「〇〇が落ち着いたらやろう」と言っていたら、今回のような騒動に巻き込まれてトライできなかっただろう。
最後に
ここまでの長文を、最後まで読んでいただけた方には本当に感謝したい。
この記事は、「自分の人生をインターネット上に残して誰かの心に触れたら嬉しい」「失敗続きであっても諦めなければ成功できる事を伝えたい」との想いで書いた。
「もうダメだ」と思っても、自分の中にブレない何か一つの”軸”があれば、乗り越えられるだろう。
それが、自分の場合はたまたま「ミニマリスト」という価値観だったのだ。
今後ブログやSNSを続けて行く上で、「ミニマリスト」の看板をどこまで掲げ続けるかはわからない。
この記事を書ききれた事で、ミニマリストとしてのアウトプットはひと通りできた感はあるし、今後はもっと幅広い情報を紹介していければと思っている。
よろしければ、これからも応援していただきたい。
この記事の続きはこちら
2022年12月10日この記事の続きとなる最終回を書きました。
2年間で病気の再発や第二子の誕生など色々な事があったのをまとめています。
そして、長年のミニマリストとしての区切りについても書いています。